「ねぇ、何が一番好き?」という話で盛り上がる時
なぜか僕だけ聞かれません。なんだろう、これ?
いきなり過激なタイトルからはじまりました。何かモノを売りつける目的のいかがわしいランディングページみたいで胡散臭いですかね。
ブランディングをしていますか?ブランディングって何ですかね?なんだかボヤ〜っとしていて、一言で表すのは難しそうです。ブランディングをもう少しかみ砕いて言うと、その目的は「ファンを増やす」ことと言えますね。そして、ファンをさらに平たく言うと「好き」ですよね。
では質問ですが、マーケティングっぽい視点で考えると「好き」の反対は何でしょうか?こう書くくらいなので「嫌い」では無さそうですよね。私の見解ですが、その答えは「知らない」です。いかがでしょうか?「なるほど!」ですか?「・・・」ですか?これだけでスッと腹落ちした方は、マーケティングに関心をお持ちの方ということになりますよ。マーケターになる素養は十分です。
それでは私の見解をここから丁寧に解説していきます。
■今の時代「好き」の反対は「嫌い」ではなく「知らない」
スマホが普及しはじめた2009年頃から、私達が一日にあびる情報の量が飛躍的に増えました。毎日なんとなく忙しない。頭がなんか休まらない。心当たりありますよね。かなりザックリ言うと、この要因のひとつは毎日大量にふってくる情報のシャワーにあるようです。昔に比べて飛躍的に情報量が増えたのです。
そんな中、スマホがクッキー情報によって痒いところに手が届く”召使い”のような存在に進化している昨今、私達は興味がある情報(好き)で、且つ、読み心地の良い(楽な)情報以外を避けるようになってしまいました。無意識にです。怖いですね!
つまり自分にとって都合よくカスタマイズされた「心地よい情報」に囲まれて生活することができるようになったのです。解らないことがあった時に、自分が何をしたら良いかを召使いのように示してくれる情報にサポートされながら生きているのです。
携帯もなかった昭和を10年以上生きた私からすると、これはほとんどアニメの世界です(笑)
このテクノロジーは便利で心地よい反面、そのおかげで多くの人が元々持っていた貴重な能力、感覚を失いました。何かと言うと、多くの人が自分オリジナルの意思で何をするか、何を買うかを決断する能力がすっかり退化し、今となっては「何かを決断する」ことが苦手になってしまった方が急増しています。決断できないので誰かに決めてほしい、ググって見つけたことを信じたい、SNSをチェックして安心したい、という症状がその主なものです。
情報の価値を判断する際に、モノやコトの質や効果で判断するのではなく、「誰が」発している情報なのか?を気にする傾向にあるという消費動向もこれに起因していると思っています。情報のシャワーが人の脳で処理できる許容量を越えているために、不安なので誰かに意思決定の責任をとってほしいということなのでしょう。いずれにしても情報量が多すぎて、誰もが適切な処理をしきれないので上記のような「好き」と「楽」に行きつくのだと思っています。これは自然な成り行きですね。
■異彩を放っておけば「好き」になってもらえるって本当?
以上の状況がわかっている環境下で、一体どうすればファン「好き」になってもらえるのか?をイチから考え直してみるのが自然なことだと思うのです。そこで考えてみたいのが、私達の意識の中で「好き」になる前の段階はなんでしょうか?その段階は、マーケティングっぽい視点では「知っている」だと思うのです。知らないことには好きにもなれない。当たり前ですよね。
では情報のシャワーがふってくる中で、知ってもらうにはどうしたら良いでしょう?そのためには、情報に気づいてもらう必要があるわけです。では、気づいてもらうためにはどうすれば?それは、情報の渦の中に埋もれないことが大切です。個性的であることです。異彩を放つことです。「異彩」つまり、漢字のとおりで「他とは異なる」必要があるのです。その情報が明らかに他の多くの情報シャワーと異なれば、目にとまりやすくなりますね。ただし、あまりに周りと違うため、それを嫌がる人や受け入れられない人が出てくるのも自然なことです。
もちろん、嫌がられたら困るのですが、「嫌がる」ということはその情報の内容を理解したことの証ですよね。知って理解したから「嫌だ」という感情が湧いたというプロセスなのですから。ぼやっとしか理解できないことには好きも嫌いも感情が湧きようがないですね。
■アンチが増えると「好き」が増える
このように情報の認知が広がれば、それだけ「嫌だ」という人の数が増えていきます。
ただし、これは渦の中にあるその情報に気づき理解した証でもあるわけです。こうして「理解した人」の中には、きっと少しは「好き」と思う人も出てくるはずです。つまり「嫌い」が増えればそれだけ「好き」も連動して増えるわけです。一方で、異彩を放たない情報(当たり障りない)は渦の中で見つけてもらうことすら難しいです。気づかないので、当然「嫌だ」と思われることもありません。その結果、少しの「好き」も生まれてこないのです。
このように、「好き」を増やそうと思えばどうしても、それに応じて一定数の「嫌い」が生まれます。だから、アンチの数は認知が広がっていることの証であり、ファンの数に見事に相関するわけですね。
ファンを増やすためにはアンチを増やす!
ご理解いただけましたでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。