旅立ちと出会いの春ですね。
桜も満開となり、あと数日で4月です。進学や就職、転勤等で多くの人が新生活をスタートしますね。我が家でも、見知らぬ土地で、初めての一人暮らしを始める子どもがいます。これまで、いかに家族や友人、先生方の助けを借りて、日常を過ごしていたのか、身に染みて分かるようになるでしょう。そして、成人年齢の引き下げにより、自分で物事を判断し、行うことに対する責任がより問われるようにもなっています。新たな環境の中で、たくさん失敗をして、挫折も経験するでしょうが、それらも糧にして、自分の未来と可能性を広げてほしいと願うばかりです。
一人暮らし準備で浮き彫りになる価値基準の差
さて、新生活の準備を進める中で、家族で一人暮らしの住まいを検討していました。内見もすませ、同じような家賃の下記の二つの物件が候補になりました。
●学校には近くて通学に便利な、やや古い物件A ●学校からは遠いが、設備も充実した新しい物件B
ここで、どちらが良いのか議論となります。
親「学生の本分は勉学であるので、その目的から考えれば通学時間が短く、利便性の高いAの物件にすべきだ」
子「学校から多少遠くても自転車等で通えば、体が動かせ健康にも良いB物件にしたい。それにA物件は学校には近いが、アルバイト先が多い町の中心から遠く、生活全般を考えれば利便性が低い。また、学校に近すぎるとたまり場になる可能性も高くなる」
親「そうでれば、食堂やコンビニ等を利用して自炊をあまりしないのに、調理器具等が充実しすぎである。同じような立地で、よりリーズナブルな物件を探しては?」
子「これまでの経験からそう思っているのだろうが、自分は今まであまりしてこなかった事、例えば日常的な料理にも取り組みたい。そのため、調理スキルが向上した時には必要な器具だと思う。最初から備え付けられている方が買い足すよりも経済的である」
親「アルバイトや家事など、学校生活以外のメリットを主張しているが、そういった事に目が向きすぎると勉強がおろそかになるのではないか。そういった人も見てきたが」
子「それこそ杞憂である。目的は勉学であることは重々承知している。これから自分が言ったことをキチンとするかどうかは、見て判断してもらしかない。出来ていないと思うのなら、その時厳しく叱責されても仕方がない」
親「…。まぁそこまで言うなら、自分の言った事を行動で示すしかないな」
発想の出発点が過去か未来か、周囲からの見え方と自分の見え方は違う
ここで、気づいたのが親は自分の経験や見聞きした事を基準に物事を判断し(上記会話文の青文字部分)、子は、未来や自分のありたい姿を基準に物事を判断している(上記会話文のピンク文字部分)ということです。おそらく、どこの家庭でも同じような事があるのかなと思います。確かに、過去の経験は大事ですが、それをもって未来が全て予測できる訳ではありません。また子の「自分はこんな未来を思い描いている」という事も実現可能かどうか分かりませんが、こうなると親は「信じて見守ってみる(あれこれ世話を焼かず、手を出さずに)」という気持ちになります。同じような状況は、親子だけでなく、職場や地域などの人間関係でも起こりえるのではないでしょうか。一つに見える事象や物事も、表裏一体で、それぞれにとってメリットとデメリットが絡み合って構成されています。そのため、絶対的な「正解」を導けることの方が少なく、最後は「その人」を信じて任すしかないという事になりますよね。お互いの立場を尊重して、意見や見方の食い違いがあってこそ議論が生まれ、新たな解決策が生まれ、人も企業も社会も発展していく礎となっているのかもしれませんね。